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【アラベスク】  第15章 薄氷の鏡



第4節 招き猫 [3]




 あの小童谷が? 怠惰で、ふてぶてしくて、何かに動じている姿など想像もできないんだけど。
 だが、そんな彼が、声を荒げて人殺しだと瑠駆真を罵っていた。
 好きな人を失う恐怖や寂しさは、ひょっとしたら美鶴や瑠駆真が想像する以上に壮絶なのかもしれない。
 小童谷。
 ベッドの上で横になっているであろう同級生を思い浮かべ、グッと唇に力を入れる。
 もし本当に彼が瑠駆真に対して八つ当たりをしていたとして、でもそれは、本当に理不尽な行動だったのだろうか?
 好きな人が死んで寂しく悲しく思うのは甘い考えだと思っていた。不幸面をして周囲に訴えるのは被害妄想だと思っていた。自意識過剰なだけだと思っていた。
 人は誰でもいつかは死ぬのだから、だから当たり前の事として受け入れるべきだ。そう確信していた。
 本当に?
 本当に小童谷の行動は、寂しさを紛らわせたいだけの、単なる八つ当たりだったのだろうか?
 私は、ひょっとしたらとんでもなく冷徹な考えを小童谷に押し付けようとしていたのではないだろうか?
 瞳が泳ぐ。
 小童谷の、見舞いにでも行ってみようか?
 だが、その考えに忙しく瞬く。
 何で私が? 同級生だから? どうせきっと唐渓の連中が行っているのだ。彼の家柄もそれなりのモノらしいし、どうせ私が行ったって何の意味もない。そもそも彼は意識不明で寝たきりだ。行っても話もできない。
 小童谷と、何の話をする?
 言葉に詰まってしまう。
 瑠駆真の母親が死んだ時どう感じたのか、なんて聞いてみるのか? バカバカしいっ!
 でも、小童谷が本当に、心底瑠駆真の母親に惚れていたのなら、やっぱり。
 冷たい風が頬を切る。
 もし霞流さんが死んでしまったら、私は。
 想像するだけで身が震える。
 や、やめよう。恐怖が増すだけだ。ただでさえ、これから霞流さんとの関係がどうなるかで不安だっつーのに。
 相変わらず胸の内に渦巻く恐怖を奥に押し込め、卑怯だとは思いながらもその恐怖に気づかぬフリをして、そうして大きく息を吸う。
「一緒に店の中へ連れて行ってください」
「入って何をする?」
「お酒は飲めないので、とりあえずは踊り方でも教えてください」
「断る。お前など誰が連れて行くかっ!」
「だったら、私と一緒に別のところへ行きましょう」
「別のところ? ほう? どこへ?」
「うーん」
 上目遣いでしばし思案し
「霞流さんの家」
 絶句する慎二。
「他に誘う場所も無いのか? ガキが」
「ガキなんだから、行動範囲も限られてます。仕方ないでしょう。それに、富丘(とみおか)の家だったら霞流さんものんびりできるでしょう?」
「別にのんびりしようなどとは思っていない」
「じゃあねぇ」
「いい加減にしろっ!」
 吐き捨てるように言い、思いっきり腕を引っ張る。美鶴も強引に引っ張り返す。袖が伸び、コートがズレる。
 こんな事をして、何になるんだろう? 一緒に店に入れば何か良いことでもあるのだろうか?
 そんな期待、していない。逆にこの場を誰かに目撃でもされて学校にでも知れたら、それこそ退学モノだ。リスクの方が高いのかもしれない。霞流さんと一緒に居れば霞流さんが振り向いてくれるとも思っていない。
 ただ、何もしないよりかはいい。そう思うだけだ。
 グッと指に力を込める。
「やめろ、乱れる」
 勢いよく襟元を引っ張った拍子に何かがバサリと地面に落ちた。カードのような物が数枚散らばる。
 舌打ちと共に霞流が屈もうとしたその視界を、何かが素早く横切った。
「え?」
 白猫は、一瞬二人の目の前で止まり、パタリと尻尾を一回振った。そうしてカードの一枚を咥えて走り出す。
「あっ」
「なっ」
 目を丸くする二人。
「え? あの猫、何?」
「チッ よりによってゴールドを」
 残りの落し物を手早く拾い、美鶴を腕に引っさげながら歩き始める霞流。状況を察し、美鶴は両手を離して歩き出す。
 腕に、微かに染みる残り香。
 霞流さんの香り。何の香りだろう? 爽やかで、冷たくも感じるけど、でも少しだけ、甘い。
 なんとなく耳が火照る。
 私、霞流さんにしがみついてしまった。
 飛びついた時は必死だった。今になって、両手が震える。
 こらこら、こんなコトくらいで動揺してどうするの? だからアンタはお子様なのよ。そんなんじゃ、いつまで経ったって霞流さんを振り向かせるコトなんてできないぞ。
 ……本当に一生かかるのかも。







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